番外編 黒いブロッコリー事件

1989年の夏、ギターの先輩から電話がありました。なんでもダブルブッキングしてしまったので、代わりに私にやってほしい仕事があるといいます。仕事内容を伺うと、あるホテルでダンス教室のパーティーがあり、そこでオールディーズバンドと某演歌歌手のバックバンドを兼ねてやってほしいとの話でした。
ダンス教室のパーティーで、オールディーズはまだ分かりますが演歌とは??なんとも不思議な取り合わせだと思いましたが、とにかく仕事が欲しかったので喜んでお受けしました。
本番当日、ホテルの会場に向かうと一番の大広間でした。係りの人たちが円卓を出しテーブルセッティングをしています。団体名で〇〇ダンス教室パーティーと書かれた看板を見て、ずいぶん受講生の多いダンス教室なんだなぁと思いながらもリハーサルを済ませ一度控え室に戻りました。出番の時間になりギターと楽譜を持って会場に入ると、そこには予想もしない光景が広がっていました。

会場一面に広がるパンチパーマ。眼光鋭い若い衆がこちらを睨みます。そして気がつきました。これはダンス教室のパーティーでは無く、おそらく組の若い衆の慰労会ではないかと。しかし、実はこの時バックバンドを務めさせて頂いた演歌歌手の方は割と大きなスキャンダルの渦中にいた有名人だったので、私はこの時点では、これは本当はドッキリで暫くしたら立て札を持った人が現れて「大成功~!」と言うのでは、という淡い期待をしておりました。しかし張り詰めた緊張感の中でショーは始まり、キーボード担当のバンドマスターを横目で見ると、楽譜は正面に立てているのに顔をほぼ真下に向けて弾いていました。

この時初めて私は彼らが本物だと自覚しました。そう思った瞬間、一気に頭が真っ白になり、楽譜もどこをやっているかわからない状態に陥りました。とにかく頭の中で「やばい!」を連呼していました。するとベテランのアルトサックスの方が横に来て「お前、もう弾かんでいいからフリだけしてろ」と耳元で言って定位置に戻りました。私は言われた通りにフリをして難を逃れました。
途中で正気を取り戻し、どうにか舞台を終えて控え室に戻ると私はとにかくここを早く出なければという一心で後片付けを始めました。
するとこのときバンドマスターはオールディーズのほうのヴォーカリストの女性と別件で口論をしており修羅場と化していました。

バンド内は恋愛禁止との御達しがバンドマスターからされていたのですが、実はそれを言っている当の本人がこの女性ヴォーカリストをしょっちゅう口説いておりました。しかもヴォーカリストの方はバンド内の他のメンバーと既に付き合っており、私はどちらも知って知らぬふりを決め込んでいました。そして、よりによって今日のような強烈な仕事の直後だというのに、バンドマスターはまたもやヴォーカリストにちょっかいを出したようで、彼女はキレて遂に

「うっせぇーんだよ!!アタシは〇〇と付き合ってんだよ!」
とカミングアウトしてしまったのです。秘密にしておく約束だった彼氏の方は予期しなかった彼女のカミングアウトに凍りつき、言われたバンドマスターは激怒して
「なに!?バンド内恋愛禁止だっていっただろうが!!お前らクビだー!!」
と怒鳴る始末。
…おいおい、どの口がそれを言ってるんでしょう。

するとそこに縦縞の大きな襟のシャツにビシッとスーツを決めたご老人が、お札を扇状に広げた割り箸を両手に持って入ってきました。すぐ判りました。組長さんです。

「いや~、今日はご苦労さん!うちの若い衆も喜んでたから(笑)」

とても喜んでるようには見えませんでしたが…

「これ、少ないけど取っておいてくれ」

扇状のお札を私に渡そうとします。私はバンドマスターが受け取るべきだと思って振り返ると

バンドマスターがいません。

私は瞬間的に様々なことを考えてました。
扇状の札束が、組長さんがおっしゃる通り確かにちょっと少ないとか、
このお金を受け取ったら、ひょっとした義兄弟の契りでも交わしたことになりはしないかとか、
もし受け取るのを拒んだら裏に連れて行かれて小指を…とか。
すると、受け取りかねている私を見ている組長さんの眼光が少し鋭くなり、無言で札束の扇を目の前に突き出しました。この状況で私が受け取らないという選択肢は絶対にないのです。
仕方なく私が受け取り、両手に扇を持ったまま丁寧にお礼を言ってお見送りしました。するとバンドマスターが現れ
「いや~臨時収入が入ったね。湯浅君も、これも勉強だと思って、ね!」
とにこやかに言うのでした。
私は心の中でこの卑怯者!と叫んでいたのでした。
傍らではバンドマスターと口論のあげく号泣する女性ヴォーカル。クビを宣告され顔面蒼白で一点を見つめて固まっているメンバー。
控え室はカオスとなっていました。

後で知ったのですが、あの方々はまともに名称を言ったのでは会場が確保できないため、架空のダンス教室をでっち上げたのでした。


私は会場に入った時の一面のパンチパーマがブロッコリーに見えたため、このエピソードを「黒いブロッコリー事件」と勝手に命名しました。
ちなみにこの楽屋での出来事はほんの15分程度のことで、本番が終わってからトータルで30分後には車に機材を積み終えて帰路についておりました。これは本番終了から完全撤収までの自己最短記録で、その後どう頑張ってもあんなに迅速に動けないのでした。

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