楽曲復元事始め


かつての伴奏音楽を復刻させるための作業は、演奏を行っていた「和洋アンサンブル思ひ出」が残した音源を聴いて採譜することから始めました。私が関わり始めた当時、マツダ映画社で製品化されたいくつかのビデオがあり、その中に使用されている曲を聞き取って楽譜を起こし直すのですが、なにしろビデオですから映画説明の声の陰に隠れて音がよく聞こえないことも頻繁にありました。その場合はマツダ映画社までお邪魔して音源を聴かせていただきました。オリジナルはオープンリールの音源でかなり古かったので、そこからコピーしたカセットテープを聴きました。初めのうちは駆け出しだったので音源の社外への持ち出しや他の記憶媒体への複製も禁止でしたが、後に複製が解禁され自宅に持ち帰れるようになったのではるかに楽になりました。

このようにしてオリジナルテープの音を聴かせていただくようになったのですが、それでもよく解らない部分が多々ありました。というのも、この録音物は楽団の皆さんがかなりご高齢になってから録ったもののようで、曲によって技術的な差も激しく音程が極めて悪いものが多く、時代的なこともあって全て一発録りで明らかにミスと思われるものも多々ありました。おそらく練習もあまりしていなかったのではないかと思われます。それゆえに音程もリズムもバラバラな部分があり、果たしてどの音程とリズムが正しいのか、判断しかねる事があったのです。これには本当に悩まされました。最終的にその辺りは近似値をとって音程化しました。また明らかに録音時期が異なると思われる音源も多々ありメンバーも違っているようです。

関東流最後の楽士となった渋谷氏は「和洋アンサンブル思ひ出」の音源を多数残しましたが、一方で楽譜や場面ごとの指示書の類は一切残っていませんでした。先代の松田春翠氏のご長男で実質的な後継者となった誠氏も大まかに口伝された事を聞き覚えているのみで、春翠氏の指示で生前に製品化されたいくつかのビデオとキューシートから、どのような場面でどのような音楽を使うのか、その傾向を頼りに手探りで調べる他ありませんでした。

その最中に、当時マツダ映画社でアルバイトをしてご自身も「蛙の会」のメンバーとして弁士の勉強をされていた上杉氏から、ご厚意で提供していただいたコロムビアの無声映画伴奏譜は大いに役に立ちました。そこには各々の曲がどういう場面で使うかが記されていたのです。曲そのものは汎用のもので、多くの映画で使われることを前提としていました。

しかしそれでまた新たな疑問も生まれました。頂いたコロムビアの楽譜には単音のメロディーのみが記されていて、和声や楽器編成の類は書いてありません。また、曲の内容が渋谷氏の残した録音物の演奏と似ていながらも異なるものが沢山あるのです。いったいなぜこのような事が起こるのか謎でした。

つづく…

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