1987年2

春翠氏の初七日も過ぎしばらく経った頃、友人の事務所から私のバンドの担当作品が知らされました。D.W.グリフィス監督の「國民の創生」(The Birth of a Nation)という、2時間45分もある長編映画だと言います。南北戦争とK.K.K(クークラックスクラン)をテーマにした映画だというザックリした情報しか無く、更にマツダ映画社からビデオの貸し出しが遅れており、上映まで1ヶ月あまりという状態で作品も見た事がないので一先ずレンタルビデオ店に向かいました。その道では有名な作品らしく、すぐに見つかったので借りて観てみると…

古いシロクロ映画ならではの不鮮明な画像と結構な速い動きもさる事ながら、BGMで延々と繰り返されるヴィヴァルディの「四季」…映画作品自体はなるほど大作なのだと解りますが、音楽の当て方は本当に本当に「酷い」作りでした。友人に確認してみると、このBGMは別な発売元が著作権の切れているクラシックの曲を適当に入れてるだけだから当てにするなとの事。
そこでBGM無しでビデオを観ていると…いつの間にか寝てしまうのです。無音のままだと2時間45分はおろか始めの数分で集中が切れてしまうのです。始終不鮮明な画像と随所で出てくる英語の字幕に悪戦苦闘。読めないとストーリーも解らず、それでも頑張って目をこらしながら観るのですが、どうにもダメです。
当時バブル経済まっただ中であるにもかかわらず私のバイト先だった末端の下請け工場は安い時給で週6日フルタイム残業。場合によっては休日も出勤という、バイトとは思えない環境下で働いており終業後に帰宅してから観るので本当に大変でした。今でこそインターネットで検索すれば詳細なデータはもちろん動画もたくさん観る事が出来ますが、1987年当時はまだ未来の夢物語でした。

他にも数組のバンドがそれぞれの担当作品を与えられましたが我々のは群を抜いて長編で、本番までの期間を考えるとこれはとても一人では2時間45分を作曲するのは不可能と思い、我がバンドのベーシストで、自身も作・編曲を手がける村上聖氏と半分ずつ担当する事にしました。

しかし試写を進めていくうちに、この映画が人種差別に肯定的な作品であると思われ、私は憂鬱になり上映自体に大きな不安を覚えました。私自身は黒人に対して何の恨みも偏見も持っていません。なのにK.K.Kの言動を賛美するような作品の曲を作るのは大きなストレスでした。事務所にこれを国際的な映画祭で上映するのは如何なものか?と問い合わせましたが、古い無声映画なのだからそんなに真面目に考えなくてもいいという返答でした。それでも私は人種差別を肯定する映画は避けたいから担当作品を代えて欲しいとお願いしましたが、もう割り当ては決まっているしテーマが難しいからこそ君に依頼したと言われていまい、結局モヤモヤしたまま制作せざるを得ませんでした。担当作品に納得いかないままの作業は難航を極めました。

しかし、同時に私はこの映画のヒロインであるリリアン・ギッシュという女優に恋をしました。ひとえにそれが原動力となり、音楽完成にこぎつけたのです。可憐な彼女の存在無くしてこの映画の音楽を完成させる事は不可能だったかもしれません。率直に言えば、人種差別問題よりも恋心が勝ってしまったという事です。いろいろ難しい事を考えた挙句、結局私は極めて単純な男でした。

コメント

  1. リリアン・ギッシュに導かれて完成だなんて、こちらも素敵なエピソードですね!

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    1. 実はこの映画祭に時、彼女の遺作となった「八月の鯨」も上映しており、無声映画の中で可憐なリリアンがお婆ちゃんになって現れたので、タイムマシンに乗ったような感覚でした。でもとても可愛いお婆ちゃんになっていたので良かったです。

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