武道館で「イントレランス」の衝撃

東京国際映画祭でどうにか役目を終え、疲れ果てて振り返れば、ギャラを上回る出費で完全な赤字。主にスタジオ代です。公演後にこれといった反響も無く、ただ「やった」という事実だけが残った、そんな無声映画伴奏の初体験でした。そして、あまりにも大変な事ばかりだったので終演直後は「二度とこんなしんどい事はやらない!」と思っていたのです。しかし人というものは喉元過ぎれば熱さ忘れるとでも申しましょうか、時間が経つにつれ、祭りの後の寂しさに似た気持ちが湧き「もう一度くらいならやってみてもいいかな。」なんて都合の良いことを思ったのでした。過ぎた時間もたかだか1週間程度。そのくらいでまたヤル気になっていたのです。


この後、1989年に民放テレビ局の主催でD.W.グリフィス監督のもう一つの大作「イントレランス」が、作曲家とフルオーケストラを率いて東京/名古屋/大阪の3カ所で大規模な上映をしました。東京は武道館で公演を行い、入場料はコンサート並みの八千円という高額ですが、時はバブル経済真っ只中。主催が当時大人気番組を多数放送した民放テレビ局ということもありCMもバンバン放送され、集客もまずまずだったようです。私は低収入でとても八千円も払えなかったので、後日テレビ放送したものを観ました。私たちが行った東京国際映画祭での「國民の創生」は集客こそあったものの全く話題にもならず、先方が実力、話題性、資本力の全てにおいてはるかに上で、全く歯が立ちませんでした。
何より悔しかったのはイベント紹介番組の中でMCが「無声映画に音楽をつけるのは戦後では初の試み」と発言した事でした。2年前に我々を含めて様々なバンドがすでにやっている事ですし、この時すでに私は無声映画楽士の道を歩み始めていたので間違っても戦後初ではないわけで、何とも言えない気持ちになりました。しかし私も始めてたかだか2年。どこの馬の骨かわからないわけですし、私もまだ何も解らず手探り状態だったので、とても無声映画楽士でござい!とは言えませんでした。

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