新しい楽団の編成

新事務所の元で楽団を再編する事となり、紹介された演奏家はフルーティスト、バイオリニスト、ピアニストの3人でした。前身の楽団では木管楽器はクラリネットでしたが、それは先述の「生まれてはみたけれど」の録音物にクラリネットが入っていたからです。
無声映画の当時の音楽的な時代背景や、映画館のなかでトップに位置する壱番館が毎週のように封切り映画を上映していたという現場の作業環境を考えると、フルートの方が作業効率が良く、バイオリンを含む擦弦楽器とも相性が良いと考えたため変更したのでした。この時フルーティストとして、現在まで活動を共にする鈴木真紀子氏が入ってきました。

パーカッションだけは事務所にいなかったため私のコネクションで招聘して構わないという事でした。そこで前楽団の野村氏も当然考えたのですが、最終的に東京国際映画祭を一緒に務めた私のバンドのドラマーを引き入れました。それは当時、彼が演奏者として伸び悩んでおり、少しでも場数を増やして経験を積み、成長して欲しいという思いからでした。

私を入れて総勢5名というのは実は単に予算の問題で、本当は低音楽器や三味線も入れたかったのですが新事務所が頑として予算増額を拒否したためでした。

私とパーカッション(当人は「俺はドラマーだ」と言い張っております)以外は皆さん桐朋学園大学の卒業生や在校生で、名門の音大なので「それなら大丈夫」と安心していたんですが、初めてのリハーサルでフタを開けると大変な誤算が待っていました。

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