メーデー メーデー

この楽団での初仕事は5月1日、メーデーの日でした。高校の芸術鑑賞会で「チャップリンのキッド」「ドタバタ撮影所」「映画の誕生」の3本立て。会場は日比谷公会堂でした。
ここでまたもやカルチャーショックに見舞われます。
クラシック組のメンバーは舞台上の譜面台や椅子の設営を全く手伝わず、更に呼び出されるまで楽屋から出てきません。
楽屋から練習する音が漏れ聞こえてくるのですが、それはこれからやる演目の音楽ではなく著名な作曲家の作品で、それを聞いた私は正直「なんて失礼なやつらだ…」と思いました。これからやる本番のことより自分の気になる音楽を本番前にやっているなど、バンド出身の私には全く考えられないことでしたが、「とにかく冷静に!」と自分に言い聞かせました。

開演直前、フルートの鈴木真紀子氏から「今日のギャラはいつ支払いですか?」と聞かれました。私はてっきり事務所から聞いているものと思い込んでいたので
「あ、聞いてなかったんですね?すみませんでした。今日のギャラは来月末に振り込みになります。」
というと、彼女は他のメンバーにも伝えると言って去りました。

いよいよ開演が近づき我々が舞台に出て準備していると、女性メンバーを見た男子高校生が冷やかします。まあ、当時の高校の芸術鑑賞会ではよくある光景ですが、彼女らは戸惑ったり不機嫌になった事を隠さず顔に出すため、男子たちは面白がって更に冷やかすのでした。私の出身高校は地元でもガラの悪さは1、2を争っていたのでこんな事は馴れたものだったのですが、クラシック畑の彼女たちは(決して皮肉ではなく)育ちの良い家柄だったので、こういった冷やかしはおそらく今日という日まで受けた事がなかったのでしょう。いつもなら綺麗な衣装で舞台に登場した姿に拍手し、演奏を静かに聴く客はここにはいません。

明らかに不機嫌な態度が出てしまった彼女たちを見て会場内はだんだん騒ぎが大きくなってきて、これは参った!どうしたものかと思っていたところで高校の先生が壇上に上がって学生たちを鎮めます。そして一度は落ち着いたものの、弁士の澤登翠さんが登場し作品紹介を始めると冷やかしがまた再発し、澤登さんまでもが不機嫌な表情になってしまいました。
(後に知りましたが、彼女もまた良家のお嬢様でした。)
まんまと相手の罠にはまってしまった澤登さんを見て私は内心頭をかかえる思いだったのですが、どうにか前説を終えて上映が始まりました。

上映のために会場が暗くなると、間も無くどこからか「いびき」が聞こえてきます。でも本当に寝ている者もいれば寝たふりをしている者もおり、中には熱心に観ている者もいました。当時の高校の芸術鑑賞会というものはそんなものだったのです。

こんな状態で公演はなんとか終わり、初めての楽団で色々あったけど公演も成功したことだし皆んなで軽く打ち上げにでも行こうと思い、舞台周りのスタッフの皆さんにご挨拶をして楽屋に戻ったところ……パーカッショニスト以外に誰もいません。

あれ?皆んなは?」
「終わって速攻で帰っちゃったよ」

苦笑いするパーカッショニスト。
これに私は愕然としました。これも私のいるジャンルでは考えられない事です。まるで事務的で、私は自分が人として扱われてる感じが全くありませんでした。後に知ったのですが、クラシックのオケの世界ではギャラが当日払いの場合、舞台袖で受け取り即退出。後日振り込みであればなおのこと即退出。会場から帰るお客様に紛れて出るほど素早いのです。演奏後に打ち上げに行くなどということはあまり無く、あっても特に仲が良い者同士や学閥、派閥単位(○○先生門下等)でしか行動しないと知りました。

ガランとした楽屋の外では、拡声器で声高に叫ぶメーデーの声が聞こえていました。

「賃金を上げろー!労働環境を改善しろー!」

………私も一緒に叫びたい気持ちになりました。

この時フルートを務めた鈴木真紀子氏は後に私にとってかけがえの無い右腕となるのですが、この時点では天敵と言って良い人でした。とにかくクレームが多く、他のパートのごく小さな不満まで代表して声高に発言するので、正直「お前は何様のつもりじゃ!?」と言いたいくらいで、その高飛車で遠慮のない物言いは畑違いの私に対するイジメじゃないかと思えるほどでした。
しかしその一方で責任感も強く、この後に2度も車にはねられる大怪我をしていますが、真っ青な顔で体のあちこちに包帯を巻いたままリハーサルに出てきた事があり、それは鋼の根性というにふさわしく、見上げたものでした。
そんな彼女がなぜ私の右腕になったかは後述ということで…。


余談ですが、なぜ彼女が2度も車にはねられたのか、一緒に道を歩いたら何となく解りました。彼女は短期間のうちに2度も事故にあったので「当たり屋」と勘違いされたらしく非常に憤慨しておりました。

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